「ヒトラーの忘れもの」 個と集団のはざまで。

 

第二次世界大戦後のデンマークが舞台の映画だ。

終戦後、デンマークの海岸には、連合国からの攻撃に備えてドイツが埋めた地雷が残っていた。

そして、終戦後に捕虜になったドイツの少年兵たちがそれらの地雷除去の任務に従事することからこの映画は始まる。

 

主要な登場人物は、少年兵たちとそれを監督するデンマーク人の軍人だ。

地雷除去という危険な作業をする中でも希望を捨てず、家に帰ることを信じて作業をする少年兵たち。その中で主人公的立ち位置にいるのがセバスチャンという少年。

そしてナチスへの復讐心を抱き、少年たちを厳しく監督するものの、徐々に良心の呵責を抱いていくのはラスムスン軍曹。

 

 

まず何と言っても、地雷除去にあたる際の緊張感がすごい。

いつ爆発するかわからないし、ちょっとしたミスが命取りになる。目の前で仲間が吹き飛ばされたりもする。観客にもその緊張感がかなり伝わってくるので、その意味では心臓に悪い映画だと思う。

また、地雷作業の合間に、海岸で遊んだりする少年たちやその美しい風景が時折映し出されるのだけれども、その美しさが作業の残酷さや緊張感を一層強調していた。

 

 

そして、この映画の重要なテーマの1つがラムスン軍曹の葛藤だろう。

自分が憎しみを抱いている「集団」の「一部」である「個人」と向き合ったとき、どのようにすればいいのだろうか?

この映画において、軍曹はナチスに深い憎しみを抱いている。少年たちは、若いとはいえ兵士だったわけだから、もしかすると自分や仲間を殺していたかもしれない存在だ。しかし、少年たちの無垢さやひたむきさを見た後では、軍曹は彼らを深く憎むことはできなくなる。

「集団」と「個人」の問題は難しい。「個人」にどれだけの「集団」としての責任があるかは、個人や価値観によって異なってくるだろう。ただ、そこで忘れてはいけないものは、「集団」の中には必ず「個人」がいるという点ではないだろうか。「ナチス」「ドイツ人」「ユダヤ人」といった括りで見てしまうと、その点が失われてしまうと思う。

 

そして実際、軍曹はそのような苦悩を抱くわけだが、その人間臭さがいい。予告編やあらすじでは「少年兵と軍曹の立場を超えた絆」といったことがアピールされていたが、彼の葛藤はそんなに簡単なものではないと思う。

たしかに両者は親しくなっていくのだけれども、そこから最後まで絆を深め続けるのではなく、ある事件がきっかけで以前の厳しい関係に戻ったりする。実際、人というものは自分の感情の整理がつかないうちは一貫性がない行動をとったりするものだ。戦争によってナチスとドイツへの深い憎しみを抱いた軍曹のような人物ならば、そのことは一層よくあてはまると思う。

監督も

「私は、人それぞれに歴史があるから人間は一人ひとりが興味深いのだと思っています。苦悩や心の傷、内なる悪魔があったって別に構わない。人間の醜悪さばかりを見せるつもりはなかったけれど、醜悪さのなかにこそ自分は何者なのかが見えると思うのです。」

というコメントを寄せている通り、軍曹の葛藤の中に人間らしさが見えた気がした。

 

戦争が生み出す特殊な環境を描くことで、人間のありのままの姿を映し出し、自分だったらどうするのか、という疑問を投げかけてくる。それと同時に、最後のある人物の行動には、監督からの普遍的な人間性への願いが込められていると感じた。そんな映画だった。

 

最後に、この映画を見るうえで、気を付けて見てほしいのが「言語」だ。

基本的にはドイツ語を使って話は進んでいく。しかし、時々デンマーク語や英語が使われることがある。その際の軍曹のセリフには、少年兵たちへの彼なりの同情や優しさを感じることができると思う。また、公式サイトにある歴史の解説もとても分かりやすいので、読んでみることをお勧めする。

 

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【映画 予告編】 ヒトラーの忘れもの